強いAIと弱いAI
アメリカの哲学者、ジョン・サールが発表した「Minds, Brains, and Programs」(脳、心、プログラム)という論文で、強いAI、弱いAIという言葉が使われた。
強いAI
適切にプログラムされたコンピュータは人間が心を持つのと同じ意味で心を持つ。
また、プログラムそれ自身が人間の認知の説明である。
そしてこの言葉の定義について、人間の心や脳の働きは情報処理なので、本物の心を持つAIは実現できる、と考える哲学者が多かった。
一方で、ジョン・サール自身は、強いAIは実現不可能である、と考えていた。 これは中国語の部屋という実験で説明されている。
- 英語しかわからない人が、小さな部屋に閉じ込められている
- その部屋には、中国語で答えることができるマニュアルが存在する
- 部屋の外から、英語の紙を投げ入れると、部屋の中の人が中国語に置き換えて、紙を外に投げ出す
これは、部屋(コンピュータ)が英語を中国語に置き換えてくれるからといって、中国語を完全に理解しているわけではない、ということを示している。
つまり、チューリングテストにおいても、本当に知能があるかどうかは、判別することができない。
このように、コンピュータは記号操作をしているだけで、心にとって本質的な意味論は欠けている、と主張している。
同様に、数学者であるロジャー・ベンローズも、強いAIは実現不可能と主張している。
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弱いAI
コンピュータは人間の心を持つ必要はなく、有用な道具であればよい。
弱いAIについては実現可能であるといわれている。